あんまり自分が気分屋だとは思わないけど、生理前とか、大事なことがある前とかは、落ち着かないで、ちょっとしたことで逆撫でされたり、…そういうのは気分屋って言わないよね?
自分でも自分の生態を明らかにするのが難しいのに、どうしてそれが他人に容易にわかる?人は、生きている数だけその生き方、生き様が違う。そうでしょ?
自分という人間について深く考えるのは、何かでつまずいた時。うまくいかない時に、振り返ってみる。普段は省みなかったような細かい、ホントにミクロな事が鼻についてくる。
そして、自分を責める。責める、責める、責める。そこからなんとかして改善策を見出そうとする。
自分という人間について何かを考えるのは、相談を受けた時。何とかして改善策を見出そうと、経験、知識、教養を総動員して考える、考える、考える。
そして、ほんの少し見えた希望の光を頼りに、前を向いて進んでいこうとする。
雨の日もある、風の日もある、雪の日もある、曇りの日もある。
でも、少しでも射す日の光を頼りにして、進んでいく。
小学生の時に宮沢賢治の雨ニモ負ケズを読んで、私は思った。
こういう人に、私はなりたい。